社会正義の問題すべてと、全世界のあらゆる紛争を解決できる聖書の秘密、それも1つの聖句に集約されているものについて、知りたいと思いませんか?
もしかすると、それはあなたの家族や会衆の中にもあり、政府や政治の中にもあるかもしれません。ここイスラエルにも、その他のどこにでもあるかもしれません。
ここに鍵があります。
準備はできましたか?あり得ないような話にも思えます。ヨハネ7:50-51を、一緒に見てみましょう。ここには、ニコデモの話しが引用されています。夜、イェシュアのところに来て、人はどのようにして生まれ変わることができるのかと聞いた、その同じニコデモです。彼はサンヘドリン、全国ユダヤ人評議会のメンバーでした。
ニコデモはこのように言いました。「私たちの律法は、まず本人から話を聞き、その人が何をしているのかを知ったうえでなければ、さばくことをしないのではないか。」
これは基本的には、トーラー書全体における正義についての要約でした。
では、その状況をイメージしてみましょう。ニコデモはサンヘドリンにいてます。イェシュアの弟子たちが連行され、裁判にかけられており、評議会の大多数が彼らを有罪にしたいと思っています。しかし実はしっかりとした捜査がなされていないため、ニコデモは彼らに(アシェル版(英語)では)こう言っています。
「まあ、ちょっと待ったってください。彼らの話をちゃんと聞く前に、どうやってこの弟子たちを裁くことができるんですか?「単なる噂で、彼らを裁くことはできないんと違いますか。」
その秘密は次のとおりです。これは信じられないほど深い原理原則です。
あらゆる対人関係の状況において、正義と公正さを求めるなら、正しい判断を下す前に、相手の言わんとすることを、真正に聞くことが必要です。
私はよく、現在イスラエルで起こっていることについてどう思うか、聞かれます。司法改革は賛成派ですか、それとも反対派ですか。左派ですか右派ですか、などです。
実際には、どちら側にも良い点もあれば、悪い点もあります。
何が問題なのでしょうか?彼らと話してみると、どちらの側にも、相手が何を言おうとしているのかが、きちんと説明できる人はいません。
ニュースをつけると、右派系か左派系のニュース番組です。多くの場合、お互いに「叫び声や怒鳴り声」の応酬で、プロパガンダでしかありません--まるで告訴のようです。実際に内容を理解し、相手が何を言いたいのかを理解することはほぼありません。これと同じ力学が家族や教会においても起こります。
正義が行われるには、相手の言い方や、相手の掲げるモットーだけではなく、その内容に耳を傾けることが必要です。内容を聞き、その人に正確に提示できなければなりません。「私が理解したところでは、あなたは今、『①、②、③、④』と仰いましたね。』 」
そして、あなたが自分たちの意図を理解していると彼らが分かったとき、あなたは逆の方向で同じ内省的な傾聴プロセスが実施できるのです。
あるいは、あなたが審判的立場にある場合、双方の言い分が、本当は何なのか理解できるまで、同じように効果的な傾聴を行う必要があります。「彼ら」の言葉や論理で、それが表現できるようになるまで行うのです。そして、「私の言っていることの内容を、相手が理解した」と双方が肯定できたとき、あなたは健全な判断を下せる立場にあります。そうしてから、自分の洞察力を表現したり、自己の意見を述べることができます。
私たちは通常、意図的に、実際に相手の言葉を聞かなくても、相手の言っていることが理解していると思っています。その以前は、まず第一に、あなたは知っていませんでした。第二には、あなたがそれを知っているということを、相手は知らないということです。つまり、彼はあなたの言うことを聞く気はありません。
それが法廷において、優れた裁判官が行うことなのです。判決を下す前に、「この問題における、一方の良い点・悪い点はこれだ。そして、もう一方の良い点・悪い点はこれだ」と言えるようになっているはずです。そして両者を天秤にかけ、判決を下すのです。
あなたはその問題の一方か。もう一方のどちらかに属することになるでしょうが、まず双方を理解することが必要です。
現代的メディアの圧倒的な勢いのもと、シンプルな傾聴プロセスがかき消されてしまう
今日あなたが耳にするもの全ては、特定メディアによる文脈の中にあります。今日の視聴覚ツールが我々の五感に対し、大いに影響を与えているため、そういった情報は、他のどんな情報よりも強力で、我々がどのように情報を受け取るかを決定しているという傾向があります。
つまり、人々は内容を聴いていると思っているのですが、実はそうではないということが起こっているのです。彼らはメディア、つまりそのスタイルや形式、表現方法に感銘を受けているだけなのです。メディアは、その内容にほとんど触れません。あなたが耳にしている殆どのニュース報道は、実際には核心的な問題が十分には、検討されていません。あなたが最初に聞くのは、ニュースコメンテーターが、その出来事について、彼の解釈を話していることです。
現在、イスラエル国民は司法・憲法改正をめぐって、感情的に対立・分裂しています。しかし、一般の人に、実際の(改正される)法律内容について尋ねると、ほとんどの人は知りません。とても熱く表現されているのです。人々は叫んだり怒鳴ったりして、あなたをどちらかの側に感情的に引っ張ろうとしますが、実はあなたは、実際の核心問題に対処できていないのです。
したがって、何かが提示されている方法に影響されず、実際に文脈の中で、情報を理解するよう、注意しなければなりません。「本人の口から直接聞く」必要があるのです。左派系チャンネルにおいて提示された右派的意見は、間違っているように聞こえるでしょうし、右派系チャンネルで左派の立場が伝えられているのを聞くと、それも間違ったものに聞こえるでしょう。
人々の意見は、彼らが同意する文脈で提示される必要があり、それがあなたの判断すべき方法です。今日、それは非常に困難です。なぜなら、あまりにも強力なメディアが氾濫しているため、人々はプロパガンダのようなメディアの波をすり抜けて、実際の内容が何であるかを理解する能力は、ほとんど持っていないからです。
そこで、ニコデモはその要約を一文で示しています。殆どの種類の紛争において、どのようにして社会正義と理解をもたらすかについて、聖書や律法は、どのようなを取っているのでしょうか?彼は次のように述べています。「最初に相手の言うことを聞かずに、どうやってその人を裁くことができるんでしょうか?」最終的に否決する方に同意するかもしれませんが、少なくともあなたはそれを知ることができ、あなたが実際に話しを聞いたことが彼らにも分かるでしょう。
この世の流れに乗らないようにしましょう。私たちは真理を信じる人々であり、さまざまな立場からの声や問題を、実際に聞くことに取り掛かるまで、あらゆる叫び声や怒鳴り声を乗り越える必要があるのです。
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