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Writer's pictureAsher Intrater

力の5つの源泉


イエシュア(イエス)の真の信者には、神からの聖で純粋な霊的な力へのアクセスがあります。この力は5つの異なった源泉から来ます。


1. 十字架

「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」–第一コリント1:18。


この第一の力の源泉は、罪と自己中心性を破壊します。それは赦しを私たちにもたらします。それはプライドと肉欲の力を破壊します。それは誘惑と非難による悪魔の攻撃を除去します。それは古い罪深い自身を破壊し、私たちは神の子どもとして新たに誕生させて下さいます。それは地獄での刑罰から私たちを救い、非難と拒絶への恐れを取り除きます。


十字架は第一であり、神がご自身の意志とご性格を私たちの人生にもたらす最大の手段です。


2. 復活

「私は、キリストとその復活の力を知り、」–ピリピ3:10。


私たちはイエシュアの復活を通して永遠のいのちが与えられます。神は私たちに豊かないのちを、その質、量共に与えて下さいます(ヨハネ10:10)。復活の力を通して、私たちに喜び、癒やし、勝利を得ます。これは生きる力となります。


主の復活は、主をシュオル(黄泉)に留め置いていた、全ての死の力を破壊します。それゆえ、私たちに対する死の力を打ち破ります(使徒2:24)。


3. キリストの昇天

「また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。」-エペソ1:19-21。


イエシュアは昇天し、天にある権威の玉座に座られました。主が昇天された時、主は神の右に座されました。これは、メシア預言の詩篇110:1-2–「主は、私の主に仰せられる。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。」主は、あなたの力強い杖をシオンから伸ばされる。「あなたの敵の真ん中で治めよ。」が成就した事を表します。


イエシュアの昇天は、支配し統治する王、メシアとしての権威が主に与えられました。主は天、地、そして地の下を力と主権で支配しています(ピリピ2:10)。主はその権威を、主に従う私たちに分かち合います。主の御名によって、私たちには御使い、悪魔、そして人類の政府に対する権威を実行する可能性を持っているのです。


イエシュアへの信仰により、私たちは死から復活するだけでなく、天において私たちは霊的に主と共に座しているのです(エペソ2:6)。 イエシュアと共に座している私たちには、諸国に対する預言的な権威が与えられました。それは、引きおろし、建て上げるもので、それは、エレミヤに与えられた権威に似たものです(エレミヤ書1:10)。エペソ2章はエレミヤ書1章を成就したもので、それは、エペソ1章が詩篇110章を成就したものとに対応します。


4. 聖霊の油注ぎ

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」–使徒1:8。


神は、私たちが主の霊に満たされる事を望んでおられます。聖霊が来られる時、主は力をもたらします。この霊的な力または油注ぎは、私たちに大胆さを、教えを行う大胆さ(使徒1:8;4:29)、預言をする(使徒2:18;19:6)、賛美する(使徒10:46;16:25)、そして奇跡を行う(使徒4:30;6:8)を与えます。


聖霊は人であり、力は物(物質)です。それは、電気を通す電気技師のようなものです。一方は人であり、もう一方は物です。聖霊は神であり、力はエネルギーです。私たちは聖霊に従い、主が与えて下さった力を用いるのです。私たちは聖霊によって導かれる(ローマ8:14)、のであって、力によるのではありません。


奇跡の力だけを求めると、それは偶像礼拝や魔術となります。(使徒8:19)。しかし、その力なくしては、私たちは聖霊が私たちを通して働かせない様にしてしまい、私たちのメッセージは空虚な言葉となってしまいます。(第一コリント2:4;4:20;12:4-6)。


5。苦しみ・迫害

「しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」–第二コリント12:9-10。


この世界でイエシュアの光が私たちを通して輝く時、同様な反対の闇の反応が生じます。これらの攻撃により、私たちの能力のなさを思い起こさせ、より神の恵みに依存するようになります。私たちの動機は浄められ、主の力がより偉大な方法で来たります。


私たちは、イエシュアを信じるだけでなく、また主と共に苦しみを受ける召命を受けています(ピリピ1:29;3:10)。多くはイエシュアを信じる意志を示しますが、苦しみが要求される従順さでもって、主に従いません。この種の苦しみはマゾヒズムではありません。これは愚かな過ちを犯した事ではありません(第一ペテロ4:15)。これは義に立つ事で、これにより悪からの反撃を受けるのです。


迫害の間、神は特別な栄光を与えて下さいます(使徒6:15;第一ペテロ4:14)。このレベルの栄光、力は、イスラエル、または世界のどこであっても、リバイバルへと突破口を開く際に必要なものとなります。迫害なきリバイバルはありません(使徒14:22;第二テモテ3:12)。


使徒行伝全体を通し、使徒らは暴行され、収監され、拒否され、そして殺されました。[使徒4:3–使徒が捕えられる;5:18–再び捕らえられる;5:40–使徒が暴行される;7:58–ステパノが石打の刑に処される;8:3–サウルが信者の家々を攻撃する;9:23–殺すサウルを殺そうとする企て;12:1-3–ヘロデの迫害;13:50–アンテオケでの迫害;14:5–イコニウムで石打の刑に遭い命の危険に晒される;14:19–再び石打の刑に処せられる;16:22-23–ピリピで暴行され収監される;17:5–テサロニケで群衆が攻撃する;17:13–ベレアで攻撃される;18:17–コリントで暴行される;19:29–エペソで暴動が起きる;21:30–エルサレムで暴動が起きる;22:22–エルサレムで再び暴動が起きる;23:10–大いなる意見の相違;28:3–マルタ島でのリバイバルが起こる前に、船は難破し、ヘビに噛まれる。]


まとめ:

1. 十字架は罪と自己中心性を破壊する;

2. 復活は永遠と豊かないのちを与える;

3. 主の昇天により、主権を支配下に置く権威が与えられる;

4. 聖霊による油注ぎは、大胆さと奇跡を与えてくれる;

5. 迫害の中の信仰は、リバイバルのための神の栄光が解放される。


これら5つの方法によって、私たちを通して主の力を表すために神の管となりましょう。

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