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Writer's pictureRon Cantor

改革者と神秘主義—ワオ!



教会史の中で、宗教改革が最大の、最も変動の大きな転換点となりましたが、多くの者はマルチン・ルターがハンマーと釘を持ってウィッテンベルクの教会に現れるまで、エクレシア(教会)全体が背徳的だったと考えるでしょう。その時、ルターは95ヶ条の論題を携え、当時のカトリック 教会の教皇や司祭に批判を行いました。しかし、その当時、教会の内外で、主が働かれておられたのです。


ジョン・ウィクリフ—彼は、英国人は自国の言葉の聖書を持つべきだと議論しました。これは、印刷技術が出てくる前で、ラテン語、ギリシャ語またはヘブライ語の聖書の写本を入手する事自体簡単ではありませんでした。結果として、神の御言葉に直接触れる事が出来ないため、人々は、聖書に何が書かれているかは司祭が教える事に完全に依存していました。そして当時、ウルガタ(聖書のラテン語翻訳版で、それが最も使われていた) はギリシャ語を誤訳し、カトリック教義を下支えしていました (下記のエラスムスを参照).

「ウィクリフが指摘したように、キリスト教会の聖職者らは、一般信徒が聖書に触れないようかなり力を入れていた。彼らは司祭や聖職者らの生活と、推奨されている、そしてキリストや使徒らが実践してきた生活との大きな乖離を発見したかもしれない。 」[1]

彼は脅威となり、追放者となりました。もし人々が真のイエスと使徒の教えを発見するなら、彼らは司祭に手向かってくるでしょう。ウィクリフは迫害に直面した中で、勇敢で真実な人物でありました。 聖書は彼の名によって世界中のあらゆる言語に翻訳されていった事実から、彼の遺産は讃えられました。 (https://www.wycliffe.org参照) エラスムス—彼は人文主義者でしたが、600年前はその意味合いが全く違います。当時、人文主義とは、より正真正銘な時へ過去を見つめる者を指します。彼は信者として、現状維持に異議を唱えました。彼は現代的で(合意はしませんでしたが)あったルターと友人であり、「万人祭司」.[2] という考え方を繰り返し主張しました。「なぜ他人に罪を告白するのか、あなた方は神に直接告白する事が出来るのに、とエラスムスは問うた。」[3] ウィクリフのように、エラスムスは一般信徒が聖書を読むのを教会が禁止した時代に語りました。 「聖書 は全ての人の手に届くものとしなければならず、それにより、以前の中世宗教の流れない池ではなく、皆がアド・フォンテス(ラテン語で泉、源泉)に戻り、キリスト教信仰の新鮮な生ける水を飲むのだ。」[4] アド・フォンテスの意味は、源泉に戻るという意味。[5] この考え方は、キリスト教界を支配する司祭や教皇がその源泉から離れてしまった—そしてエラスムスは「キリスト教の聖書、初代教会の書き手、そして究極的には新約聖書への直接回帰」を呼び掛けた。[6]

彼は同様に、カトリック 教会の現状維持体制や神学の独占に対する大いなる脅威と見なされ、追放者となりました。 シエナのカタリナ—妄想的であるとして、カタリナを無視するのは簡単です。ほとんど食事をせずに幻覚剤にふけるのは一般的ではないとは言い切れません。しかし今日, 数日おきに、誰かが天に昇り、神の御声を直接聞いて来たという主張をする者がいます。彼らは悪評があり、本の売り上げで利益を上げていますが、その一方 カタリナは自分を犠牲にして、「聖霊が示される事を、私は何千回も行う」という意志を示しました。[7] そして、彼女はたった33年の生涯の中で大いなる実を実らせました。カタリナは、彼女が見た幻だけでなく、貧しい人 や病人に尽くし、また自己否定を徹底的に行った事で、大勢の人を引き寄せました。[8] 「1370年、彼女は『神秘的な死』と呼ばれる状態を4時間経験した。その間、彼女の身体には命がない様子で、彼女は神との恍惚的に統合する状態へ上げられた」[9] この経験の後、彼女は聖霊に促されて、妥協に満ちた政治的な問題を面と向かって指摘するようになった。この時代、教会と国家は常に一つの組織、または、少なくとも非常に緊密な連携を取っており、また、時には不俱戴天の敵でもあった。教皇が地と国民を支配していた。」 1377年、彼女には5日間の(天からの)訪問があり、その時から、彼女は「対話」という著作の中で、「彼女の代表作」を書いた。」[10] 信者として、私たちは、三つが一つであるという三位一体の神の性質を、たとえそれを信じていても、理解するのに大いなる 困難を覚えています。彼女は神がそのように述べられた、その三つが一つである事を、見る事が出来たのです。

おお、永遠なる三位一体!おお、ご神性よ!そのご神性、主の神的ご性質は、御子の血、その価値を支払われた。主よ、永遠なる三位一体は、海のごとく深く、より主の中に私が入って行くと、より私は発見する。そしてより私が発見すれば、より私は主を求めます。主よ、永遠なる三位一体は、創造者であられる。そして、私はあなたの作品であり、主が創造された美を伴う愛であられる事を私は理解した。それは、主は私を、あなたの御子の血潮において新しい被造物とされた。おお、深遠よ!おお、永遠なる神性よ!おお、深い海よ!あなたご自身という賜物以上のものを私に下さると言うのでしょうか![11]

彼女の最大の喜びは、主の晩餐に与かる事で、「そこで彼女はしばしば『三位一体の深みを味わった』という」[12] その一方で、私は、カトリック 教会が主の晩餐を誤って用いた事、それを否定する事で、敵に対して道具や武器として用いた事を大いなる 問題として捉えています。 ですがその一方で、当時彼らは、聖餐式を今日の信者の大半よりも重要視してきた事を深く感謝しています。それは真に聖なる経験でした。


カタリナはまた強力な伝道師で、大勢の群衆に教え、「彼女の言葉を聞いた大勢の人は、または彼女を見ただけで、改宗した」[13] 彼女は、1コリント 12 章の賜物は「霊的なエリート」だけではなく、全ての信者に与えられるものだと、信じていました。聖霊の力を信じていた司祭は、一般信徒は賜物を用いる資格はないと感じており、彼らは信頼するべきでないと考えていました。彼女は、(1コリント)12 章の霊的な 賜物を特定した最初の人で、彼女の前は、イザヤが用いたイザヤ書 11章にある7つの項目がある。 彼女は非常に若くして亡くなりました。「もはや食べる事も水を飲む事も出来ず、彼女はローマで暮らし、1380年に33歳で亡くなった」[14] 元クリスチャン・アーチストのリッチ・ムリンズはいつも次のいのちを求める歌を歌いました。彼はカタリナのように、非常に若くして亡くなりました。ある者にとって、この世界に存在意義を見いだせない者もいるのです。


ボナヴェントゥラ—「彼自身 聖霊と組み合い」[15] より深い、理性を越えるレベルの経験をしたといいます。聖ビクトルのリチャード(サン・ビクトルのリカルドス)の三位一体の概念は興味深いです。人は自己愛から脱出するために他者を愛する必要があります。しかし、二人は共に自己愛に陥る事があるので、それゆえ第三者が必要なのです。[16] 私は、これを教会生活のモデルとしています。もし教会が人に手を差し伸べるのを止めてしまったら、自己愛の一例となってしまいます。真の愛は常に拡大 を望み、より多くの魂を導き入れます。 ヒルデガルド・フォン・ビンゲン—「彼女は人生の半ばで、個人的な ペンテコステを経験した」[17]私たちも常に新たなペンテコステ経験を求めるべきではないでしょうか。「ヘルフタのゲルトルードは聖霊を『蜜よりも甘い』ものと表現しており、[それを通して]全ての天の力は構築された」[18] これらの人々は単なる例ではなく、指導者でした。彼らは自身の思想を修道院で指導者として拡大させる事を行いました。ヒルデガルドは闘う人であり、二つの修道院を創設しました。[19]もちろん、大いなる 霊的な賜物を持つ者は誰でも、その賜物は人々を惹きつけます。しかし、ヒルデガルドはまた敬虔な人物で、霊的な娘たちへ深い愛を示しました。[20]

神秘主義は力または地位に固辞するものではなく、神への渇望感があり、それが人々を惹きつけるのです。彼らは修道院だけでなく、運動の指導者となったのです。


間違いや過剰からの注意喚起


責任問題が第一の課題です。彼らは誰と啓示を受け渡しているでしょうか。聖書を学ぶ事から神学を形成しているのでしょうか、それとも、超自然的な訪問によって神的な存在が聖書を私たちに教えるのでしょうか。


私は、誰かが「神が彼に伝えた」と言った場合、その意味について慎重になります。ある、非常に有名なアメリカの預言者 が、ロトの妻が振り返った理由は、彼女は執り成し手で人々を非常に愛していたからだと、どれほど「神」が彼に伝えたかについて語りました。しかし、これらの人々は ロトの客人に暴行を加えようとしたのです。ロトは客人の代わりに、彼の二人の娘たちを差し出したのです。ロトの妻が執り成し手(この話の中では、アブラハムが実際の執り成し手でした)であった事は信じ難いです。しかし、この預言者が言うには、神が実際彼に文字通り語ったというのです。そういう訳で、私たちはこのような方法で啓示を受ける事に、かなり慎重にならなければなりません。 別の課題は、権威の構造でしょう。ある人が非常に油注がれ、聖霊の賜物に満ちている時、私たちは、彼らは間違いを犯さないと考えがちになってしまうのです。昨晩、イスラエルのテレビ番組で、あるカリスマ的 ラビが彼の支持者と共に、性的なカルト集団にしてしまった話を観ました。ある妻が彼女の夫に懸念を表した時、その夫は「ラビはそのような事をするには無垢過ぎる」と答えたといいます。 彼は、ラビが女性にキス出来るのは、彼は、全ての人は同じであり、性的なものとして見ないからだと説明していました。 しかし、その団体はカルトだったのです。

最後に、使徒の人生から (使徒 2:1-4)神と共にある経験を求めるような場合、 私たちは常に自分の信仰は神の御言葉に依るもので、自分たちの経験に依らない事を確認しなければなりません。経験はすばらしいですが、神の言葉は揺らぐ事のない真理の土台なのです。

改革をもたらす要素


改革をもたらすには多くの要素があります。以下がその例です。


•不品行や汚職が教皇や司祭の間にあることです。「ボルジア家の教皇アレキサンダー6世は恐らく危険な宴会などで恐らく非常によく知られているかと思います。彼は1492年の教皇選出選挙で勝利するため、賄賂を贈った事で知られています。また、複数の愛人と少なくとも 7人の私生児をもうけていました。[21] 多くの聖職者は敬虔さで任命されたのではなく、コネクションがあったからでした。[22]


•般信徒が読み書きが出来るようになる—抑圧的な政治体制の人々がインターネットにアクセスして、実際の話の情報を得るようなものです。彼らは聖職者が得ていた免税権を容認しませんでした。昔と違って、人々は苦情を書く事が出来、それを他の人が読む事が出来たのです。[23]


•般信徒が聖書に直接触れられない事が、受け入れ難い事だけでなく、 文字の入れ替えが可能(印刷技術の事と思われる)となった事で、聖書に触れさせない事が不可能となりました。[24]エラスムスはギリシャ語聖書とウルガタ聖書(ラテン語) には齟齬があるのを見せる事が出来ました。一見、教会は聖書の中の典礼のように見せかけましたが、実際それはそうではなかったのです。[25]


•市の行政は貴族による政治体制から変わって行きました。「中世の世界観は静止だった。ある地位に人が任命されるのは、その社会の中でのその人の生まれや社会的な 伝統で決められた。」


私たちは先駆者から多くを学ぶべきです。神は常に、迫害に遭っても妥協しない改革者を探しておられています。

[1] McGrath, Alister E.. Christian History (pp. 125-126). Wiley. Kindle Edition. [2] 万人祭司, 16世紀の宗教改革での教会(ルター派、改革派双方、そして改革派教会から発生したプロテスタント系の自由教会での)主要な教義原則。 https://www.britannica.com/topic/priesthood-of-all-believers その教義は、全ての人は、真の大祭司であるキリストを通して神と対話する事が出来る事を強く主張するもので、司祭的仲介者は不要である。これにより、教会の機能に民主主義的な要素が導入され、全てのキリスト教徒は平等である事を示す。それゆえ、任命された聖職者はそれゆえ教会全体の代表であり、そこで教え、秘跡を授ける働きを行う。 [3] McGrath, 140. [4] McGrath, 140. [5] McGrath, 134. [6] McGrath, 135. [7] Burgess, Stanley M.. The Holy Spirit: Medieval Roman Catholic and Reformation Traditions (Kindle Locations 2019-2020). Baker Publishing Group. Kindle Edition. [8] Burgess, Kindle Locations 1928-1929 [9] Burgess, Kindle Locations 1930-1938. [10] Burgess, Kindle Location 1941. [11] Burgess, Kindle Locations 1968-1975. [12] Burgess, Kindle Locations 1980-1981. [13] Burgess, Kindle Locations 2019-2020. [14] Burgess, Kindle Locations 1945-1946. [15] Burgess, Stanley M.. The Holy Spirit: Medieval Roman Catholic and Reformation Traditions (Kindle Location 1316). Baker Publishing Group. Kindle Edition [16] Burgess, (Kindle Locations 1169-1170) [17] Burgess, (Kindle Locations 1659-1660) [18] Burgess, (Kindle Locations 1781-1782) [19] Burgess, (Kindle Location 1566) [20] Burgess, (Kindle Location 1566) [21] McGrath, 151-152 [22] McGrath, 152 [23] McGrath, 152. [24] McGrath, 153. [25] McGrath, 142.

Ron Cantor

CEO of Tikkun Global

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