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Writer's pictureGuy Cohen

最後の一滴まで

イスラエル、アッコー

アシェルの収穫


人の魂には、常に戦いがあります。私たちの魂はいつも渇いており、すなわち何か満足させてくれるものを探し求めています。魂が御心から外れるとき、あらゆる種類の有毒な井戸にて、水を求めてしまいます。


神さまこそが、私たちに生命の霊を与えてくださった方であり、私たちが、生ける水を、その源である神さまから飲むことを望んでおられます。この世界を見ていると、全人類にとって、それがいかに困難なことであるかが分かります。それは、皆自分たちの周りに見えるものだけが潜在的な水源だと思っているからです。


エレミヤ 2:13 で、この預言者は2 つの悪について次のように述べています:

1.生ける水の泉を捨てたこと

2.ひび割れし漏れている、水を溜めることのできない水溜めを掘ったこと


あなたがたの先祖は、わたしにどんな不正を見つけたというのか。


わたしの民は二つの悪を行った。いのちの水の泉であるわたしを捨て、多くの水溜めを自分たちのために掘ったのだ。水を溜めることのできない、壊れた水溜めを。(エレミヤ2:5,13)


掘りに掘って、計画し、建築し、成功するため事業を行い、満足感を得るため互いに求め合い、解決策を政治に求め、安全保証を得るため、和平協定求めるとき、人はどうなるのでしょうか?


彼らの魂はすぐに渇き、空の井戸から汲むこともできず、神さまの約束から遠く離れていることに気づくのです。


干ばつと飢饉が 3 年半続いた後、エリヤがカルメル山に立ったときに、雨の降るときが来ました。それは偶像崇拝をやめる時であり。また、真実の泉に目を向けるときであり。国王と国民とが、誰が真実の神であるかを知るときが来たのです。


エリヤの祈りの後、西の方からカルメルの海岸線に向かって雲が現れ、乾いた土地に雨を降らせました。この水が地上に降ってくるのを見ることは、なんと素晴らしい勝利だったでしょうか。しかし同時に、エリヤは、アハブ王の心が変わっていないのを見て、打ちのめされました。神さまは、地上を見渡し、神に心を向ける人々を探しておられます。人間は主の被造物であり、愛される対象であり、人々が主に目を向け、心を和らげる瞬間を待っておられるのです。


ヨハネ7:37-38 で、イェシュアが仮庵の祭りの大いなる日に、神殿から次のように宣言されています:「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」


魂が創造主に出会い、主に信頼するとき、生ける水の泉と出会い、この地上において、神からの天命を成就します。


御霊により目が開かれた私たちは、主がこの地上で、私たちを配置されるあらゆる地にて、主の祭司になるよう召されています。私たちは、すべての魂が創造主とつながり、主にあって満される機会が与えられるよう、生ける水の泉について、執り成し、証しし、反映させるよう求められています。


鹿が谷川の流れを慕いあえぐように

神よ 私のたましいはあなたを慕いあえぎます。

私のたましいは 神を

生ける神を求めて 渇いています。

いつになれば 私は行って

神の御前に出られるのでしょうか。(詩篇 42)


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